意識高い系が本当に大事にするべきたった2つの考え方

Pocket






意識が高い(笑)と揶揄する風潮

私は2年生のいま、学生団体と長期インターンをしているので、”意識高い系フル装備”のような生活をしています。そして、毎日辛くも刺激と学びにあふれてワクワクするような日々を送っています。

しかし、1年生のときの僕は
「大学生で遊ばないと後悔しない?」
「あいつがんばってるなぁーwww」

こんな周りの声を気にして「全力で頑張るのは恥ずかしい」という考えがよぎり、全力に打ち込めずにいました。特に大学の1、2年生の間ではこういった雰囲気は少なくありません。

大事にするべきたった2つの考え方とは……

批判者ではなく応援してくれる人に目を向ける

僕が、やっていることが本当に今やるべきなのか不安や疑いを持ち始めた時、ある記事が有名になりました。

それは2015年12月にco-mediaに掲載された紀里谷和監督の記事です。
頑張っている学生が「意識高い」と笑われる日本は末期症状である。紀里谷和明監督インタビュー

以下一部を抜粋です。

僕は「船の外に出たい」という人と一緒に何かしたいし、性別・年齢・国籍に関係なくそういう人とつながっていって、船を出てもっと素晴らしい何かをつくることもできるんじゃないですか。ただ言わせてもらうと、その「意識高いね」という感覚は、末期的症状だと思う。

大学1年生の頃の友達や家族の考え方は
「1年生の時は絶対遊んだほうがいい」、「真面目すぎるから、自分は絶対やらない」というものでした。つまり、自分の周りの人には理解を示し、応援してくれる人は少なかったのです。

そんな中、自分がいましていることに対して背中をプッシュしてもらったような気がしてともてうれしかったです
周りに批判者ばかりいる人こそ、自分を応援してくれる人を見つけることが大切です

自分を好きになれることに挑戦する

以下一部を抜粋です。

やらなくても、自分を好きになれるかどうかですよね。みんな人から認められることによって、自分を肯定できるかもしれないと思っている。認められた、有名になった、お金持ちになった自分を見て「俺イケてるじゃん」と言いたいだけなんですよ。そんなことよりも、鏡に映っている自分はなんなのか。それがどういうものなのか、考えていかないと。どんなにお金持ちでも、自分のことが嫌いな人はいっぱいいますよ。そうじゃなくて自分を好きにならなければいけないんですよね。

周りを気にして自分が行動しないとことで、後悔しないのか?
挑戦している自分の姿を自分が好きになることができるのか?
自分で考えてみたとき、周りから認めてもらいたいだけの自分がいることに気づきました
なんとなく名前を聞いて過ごそうなことをするのでは本質的な意味はないということです。
自分に問うてみて、自分自身を好きなれることに挑戦するべきです

まとめ

この記事を見て何か思うところがある人も多いと思います。
当時の私は少なくとも”応援してくれる人もいること”、”周りを気にせず好きな自分でいることの大切さ”を感じ、元気づけられました。
あの記事を読んで6ヶ月たった今、私は”学生団体をやりながら、長期インターン”という意識高い系フル装備で日々を過ごしています。

そして今は
「大学生で遊ばないと後悔しない?」という声には「自分が好きなことなので楽しいです!!」
「あいつがんばってるなぁーwww」という声には「応援ありがとうございます!!」
という考えになっています。