政治家の元でインターンができるって本当?鈴木ひろみ議員を取材してきた!

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話は変わりますが、鈴木先生はどのような学生だったのですか?

私は、びっくりするくらい意識の低い学生だったように思います(笑)。授業に出るのがやっとで、できることならいつまでも遊んでいたいと考えていました。政治にも全く興味がなくて、勤勉やまじめとはほど遠い人間だったと思います。ただ、好奇心は人一倍強かったので、興味を持ったことには一生懸命打ち込んでいましたね。

政治家に興味がなかったということですが、政治家になったきっかけを教えてください。

私は、大学を卒業したあと一般企業に入社しました。ちょうどその時期は、就職氷河期と呼ばれていた時代で、就職できた人とできなかった人との差が激しかったんです。就職が決まった人たちは、過労死するのではないか、というくらいみんな必死に働いていました。それとは逆にいつまでも就職が決まらなかったり、正規雇用社員になれなかったりする友人たちを見て、なんとなく自分のキャリアに疑問を抱くようになったんです。「このまま働いていてもいいのだろうか」と、漠然とした悩みを抱えながらもんもんとした日々を送っていました。

それからどうなったんですか??

毎日もんもんとしながら自分のキャリアに悩んでいる時に、母の友人に都議会議員の方が人手不足ということで手伝ってくれる人を探していたんです。私は、ボランティアという形でその方の事務所を手伝うようになったのですが、一緒に働いているうちにその議員の方に憧れるようになりました。都民の要望や悩みを親身に聞いて、真摯に行政機関とやりとりをしながら街の課題を解決していく姿を見て、「議員という仕事はなんて素敵なんだろう」と思うようになりました。政治家に憧れるというより、地域の課題を少しずつ解決していける、自分で何かを成し遂げられる、という点に魅力を感じていました。たまたま、それができるのが政治家という職業だった。実は、こういうことって政治家じゃなきゃできないんですよね。それに気づいたことが、政治家になろうと思ったきっかけです。

鈴木ひろみ議員

政治家になってよかった、うれしかったと感じる時はいつですか?

やはり、地域の問題を解決できた時ですね。例えば、横断歩道の信号機。新宿区には、高齢者や足が不自由な人が信号を渡りきる前に赤信号に変わってしまう。横断歩道の距離に対して青信号の時間が短い信号機が多々ありました。そういった信号機を調べて、リストアップし警察の方に改善してもらうようお願いをして改善していくという具合です。

警察とも連携をして問題を解決していくのですね。確かにそれは、政治家でなければ解決するのは難しそうです。

区議会議員としての政策という面では、新宿区の全ての中学校にヘルメットを配置できたこともうれしかったですね。今までの新宿区の中学校では防災訓練の時、通学カバンを頭の上に乗っけて、両手で抑えながら避難するようにしていました。しかし、よくよく考えてみれば、災害時に両手がふさがっている状態で避難するというのはすごく危ないんですよね。「これはおかしい」ということで、区議会で提案し、タタメットという畳めるヘルメットを使うように提案しました。ちょうど3.11の直後で、区民の防災意識も高まっていた時期だったので、すぐに導入することができました。子どもたちの早急災害時の安全を高めることができた時は、やっぱり政治家になってよかったな、と思います。

そのデスクに置かれているトロフィーはなんですか?

マニュフェスト大賞のトロフィー

これは、マニフェスト大賞を受賞した時にいただいたものです。

マニフェスト大賞とはどういったものですか?

マニフェスト大賞というのは、議員や市民の活動実績に対して贈られる賞なのですが、女性議員に対するセクハラやヤジが騒がれていた中で、私が議員任期中に出産を経験し、産休取得の事例を作ったことが先進的ということで受賞させていただきました。

そうだったんですね。ここ数年で、産休制度を導入する企業が増えましたよね。

そうですね。新宿区では10年前にも産休を取得した議員の方がいたので、私としては産休を取得することは普通のことと思っていたのですが、ほかの議会からするとまだ真新しいものだったんですね。
私が産休を取得するにあたり、労働基準法と照らし合わせたり、「新宿区職員の勤務時間、休日、休暇等に関する条例」を援用したりして、他の地方議会に女性議員の産休を認めてもらうことに成功しました。やはり事例があるのとないのとでは全く違います。そういう意味では、子育て世代の女性が社会進出しやすい環境作りができたのではないかと思っています。